

ずいぶん以前に聞いた話です。都心に住む小学生を対象に言葉から連想する絵を描いてもらう実験をした結果、魚と聞いて何人かは「切り身」の絵を描き、野菜と聞いて多くの子は「葉のついていない大根や人参」を描いたそうです。つまり「スーパーで売っている形」が子ども達には正しい形と認識されているという事ですね。
出口に近い情報だけが正しく認識されている。この事実に私は驚いたのですが、反面、仕方ないかもしれないと思うようになりました。多分、米と聞いたら袋入りの米を連想する時代、モノの成り立ちや背景を知らないで過ごす事にほとんど不便は感じないのです。
家具や道具にも同じことが言えます。製品を使うだけならそれがどのような背景でつくられ、何を目的にデザインされているかを知らなくても不便はありません。店頭に並ぶ形が製品の形ですから、そこに疑問を持つ必要も無いのです。飛躍した考え方かもしれませんが、そのような風潮が「使い捨て」という文化をつくってしまったように思うのは私だけでしょうか?
今回でこのコラムは最終回を迎えます。最後は、家具のデザインが単に「売り場に並べる商品作り」ではないことを考えてみたいと思います。まず身の回りをよく見てください。私たちの生活はかなりのパーセンテージで西洋と同じスタイルにあるということがわかりますね。つまり現代日本の私たちが日常使っている家具のほとんどは、日本以外の文化からの輸入がルーツにあるということです。前回のコラムでもふれたような日本の伝統的な家具を今はほとんど見かけることができません。桐たんすなどは、着物を着るかたがたには重宝されていますが、それも年々減っているのが現状で、唯一絶滅を逃れている日本の家具の代表は「こたつ」くらいでしょうか。これは、生活が変わったから、と単純に割り切れる現象ではないのです。生活が変わったといっても、根本のところ、例えば床でゴロゴロしたいという感覚は変わりません。
ところが、多くの家具売り場で見る事のできるシーンは欧米の生活スタイルそのままのものも多く、なんだか違和感を感じてしまうのです。
ということで、今回のテーマは「DNAが反応する家具デザイン」を、私自身のデザインを通してお伝えしてゆきたいと思います。3回目のコラムで、「椅子と座布団の違い、それは洋服と着物の違い」という話しを紹介しています。実はこれこそがDNAが反応するデザインの本質とも言えるのですが、これをもう少し深く掘り下げてみましょう。
「一器多用」という言葉があります。読んで字のごとく、一つの器を様々に用いるというところから、道具をより自由に使いこなす文化を表しています。欧米の器は、例えばグラスを見ればわかるように全て機能が決まっておりサイズや形状にルールがありますが、日本の器はある程度使い手にゆだねる要素があります。蕎猪口はお酒を呑むもよし、向こう付けとしてつまみを盛るのもよし、という具合に。カトラリーも同じで、欧米ではナイフとフォークは魚、肉、と使い分けますよね。よく披露宴などで、ずらっとカトラリーが並んでいて「どれから使うの?」という質問を必ず一度はしているはずです。日本の食卓は箸が一膳、それでご飯も、汁も、付け合わせも全て食べるのですから、実に使い勝手の幅が広い。これはあくまでも一つの例ですが、この差は何かというと、道具自体に与えられている役割の違いとも言えるのです。「機能が明確で使い方が限定的な道具」と「機能が曖昧で使い勝手が多様な道具」と言えばわかりやすいと思います。そんなことを私はどのようにデザインに反映させているのか?具体的に紹介してみます。
写真1:zagaku/園田椅子製作所/design 村澤一晃
一器多用の家具。
このシリーズは「座る」という行為を「椅子」という道具の形から切り離して考えたものです。(写真1)道具の形が座り方を決めるのでなく、座る人が発想するとどうなるのか?というように考えたデザインです。おわかりかもしれませんが、基本は座布団。ただ現代生活者の多くは既に正座は苦手で、あぐらでも長く座布団に座っていると腰が痛くなるという人も多いはずです。私も和食は好きですが、座敷は苦手。堀こたつがあると嬉しくなるタイプです。こんな体験を背景に、少し高めにした座をデザインするところから開発がスタートしました。始めてみると、心地よい高さというのは性別や年齢によってまちまち。着ている服でも大きく変化します。それなら逆に要素を減らしてできるだけ自由度の高いデザインすることで、より多くの人が自分なりに座り方、使い方を考えてくれるのではないかと考えたわけです。こうして出来上がった4つの形は、思った以上に使い手の気持ちを刺激しました(イラスト1〜3)枕にしたり、遊具になったり。でもそういえば座布団も枕だったり遊び道具だったりしますよね。結局元に戻っただけかもしれませんが、行儀が悪い!なんてしかられることもなく、背伸びした「家具」という言葉が似合わない、毎日使う生活道具になったと思います。
イラスト1:大人も枕として使えます。
イラスト2:こんなこと一度は経験しますよね。
イラスト3:女性にはこちらが人気のようです。
写真2:OTOMO「ダイニング」/東亜林業/design 村澤一晃
目線があう形。
次に紹介するのは「家族」がテーマの家具シリーズです。家具のデザインの場合、座るとか整理するとか、道具の本質的な機能性が重要視されがちですが、家具を使う場という視点に立てば、「そこでどんな時間をすごすのか」が機能以上に大切になります。このシリーズで大事にしたのは、できるだけフレキシブルに生活に対応したいということです。通常ダイニングでは「テーブルを均等に囲む」というのが前提になりますが、少子化が進み、さらに子どもが自立した夫婦ではテーブルを囲むというよりソファでテレビを前に食事をするという情景をよく耳にします。そこで、方向性があまり無いような楕円のテーブルに寄り添うような低めのダイニングを考えました。(写真2)孫が訪ねてきたら小さな椅子をおいて遊ぶのもいいし、いつもは夫婦が並んで映画でも見ながらゆっくり食事ができる形です。さらに同じシリーズでリビングやダイニングという範囲から抜け出した道具も提案しました。(写真3.4)基本にあるのは「箱」ですが、それはデスクでもありベンチでもあります。置き場所で役割が変わるのでなく、置き場所を選んで道具の使い方を考える。これは縁側にお膳を持ってゆき夕涼みを楽しむという気持ちよさにも通じると考えています。そのためにできるだけ仕様を単純にし、長い時間使い込む事で表情が良くなるヒノキを素材として使いました。時間とともに育ち続ける家具になってもらえることを期待するデザインです。
写真3&4:OTOMO「宝箱机」/東亜林業/design 村澤一晃 
「こたつ」がなぜ絶滅を逃れているのか。それは理屈ではなく、ご飯を食べたり、ゲームに講じたり、勉強したり、昼寝したり、という曖昧なありのままの私たちを受け止めてくれるからなのです。そして、「冬はやっぱりこたつでみかん」という季節感を感じる生活の中で受け継がれてきた心地よさなのでしょう。そう、季節感といえば私がデザインを勉強した学校の恩師がいい言葉を残していますのでここで紹介します。
「夏茶碗と冬茶碗を持っていますか?暑い夏は白磁や青磁の薄手で涼しげなお茶碗に、寒い冬は萩焼や九谷焼のように手のひらに土の感覚が残るお茶碗で、それだけで、生活が変わる。」
と教えてくれました。
これはルールに従ってモノを使うのではなく、使い手の感性でモノを使いこなせる心地よさに他なりません。
最初にふれたエピソードは「食育の重要性」を考える場での話しだったと記憶していますが、このあと、ずいぶんと教育現場でなどでの取り組みが盛んになり、変化があると報告もあります。家具の場合でも同じように、例えば「木の家具」というだけでなくて、木の名前、広葉樹/針葉樹の違い、国産材、輸入材、森林の現状など、背景をきちんと伝えてゆく「木育」的な動きも最近生まれてきました。これらのことに共通するのは、完成した「モノ」を見るのではなく、モノになるまでのものがたりも一緒に理解しようということです。でもこれらの事柄は本来「教える」というより「伝える」ものでした。あらためて学習するというより、モノを通して次の世代に伝え残してゆく日々の営みが大事なのだと思うのです。
道具のデザインは、その文化背景を色濃く反映します。ということは道具のデザインは文化の表現でもあるのです。一時のはやりで携帯電話を毎年買い替えるような現象は文化とはほど遠いのです。便利さをもとめ、消費を闇雲に促進させ、生活道具とのつきあい方が希薄になってゆきます。それは「自分なりに道具を使いこなす心地よさ」とは対極にあります。今一度、私たちの中に静かに、そしてしっかりと根付いている価値観を呼び起こすことが大切です。それはあらためて学習しなくても見つけることができはずです。
デザインを見るとき、そこにあるメッセージを読み取っていただければ嬉しいです。
村澤一晃
1965年生まれ。ICSカレッジオブアーツ卒業。垂見健三デザイン事務所を経てイタリア留学。セルジオ・カラトローニに師事。帰国後、ムラサワデザインを設立し、現在に至るまで精力的に家具デザインなどの活動を行っている。
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